人生を諦めない

何かうまくいかない時にもうダメだと思うか、何くそ、と思ってまたやり直すか、と気持ちを取り戻して歩み始めるかの別れ道に立つ者は諦めてはいけない。もうダメだと思った者に成功や成就は訪れない。私が尤氏長寿養生功を修行を始めた最初の頃は師母の日本人に対する猜疑心と回りの差別とイジメに閉口した私はなんという道場だろうかと驚き呆れて怒って、もう辞めようか?と何回も思ったのである。しかし、ここで諦めれば何も前に進まない、と思い直して翌日の練習に備えたのである。ただ一人日本人が中年で、と歳もみんなより上で差別やイジメを受けることは屈辱的なものである。不思議なことに年月を経ると共にイジメと差別に慣れて来て、よし、それならこの状況を変えてやろうと気持ちを新たに一人ひとりから私の身を低くして教えを請う態度で真剣に習いたいとの姿勢を見せて、訓練も人の何倍何十倍として先輩同輩の上になれば、師母でも何も言えなくなるだろうと考えた。死にものぐるいに練習した。私を道場で知る者の誰にでも聞いてみれば、全員がどれほど私が練習訓練をしていたか、証言するはずである。二十年のあいだ、クリスマスも誕生日も日曜日も返上して師母との訓練に励んだ。二十年で、震脚七百二十万回、瞑想時間四万四千四百四十時間の訓練が終わった時には私が道場生の筆頭となっていた。最後の練習を終えて、立ち去ろうと道路に出た私を師母は泣いて私を呼んだのであった。私に指輪と師母の写真を私に手渡して、日本で道場生をたくさん持て!と言ったのであった。人生を諦めず、一心不乱に努力精進する姿を見ない者など何処にもいない。イジメと差別に打ち勝つ方法を私は身をもって見つけた。人生を諦めないことであった。