自力本願

最近の脊髄小脳変性症の患者の症状が良くなって来ていることや他の講習生と私の道場生を見ていて気付くことがある。ア、我々のしていることは自力本願の仏道修行なのであった、ということである。と言うのも、私がこれだけのチカラを獲得して此れ程に楽しく嬉しい幸せな日々を過ごしている背景には、二十年の毎日7時間の修行で瞑想四万四千四百四十時間を行ない、七百二十万回の震脚ジャンプを敢行したことがある。イチローの大記録と同じようにコツコツと一回づつの積み重ねによって自然に気がつけば、世界一になっている。スケベな欲をかいて、私の二番煎じのまねごとをした者はニセモノのレッテルを貼られてこの世界では、冷ややかに笑いものになっている。他力本願の、タダ飛ばすテクニックだけ習って、テレビに出ることだけを目標として本来の自己を確立出来なかった典型的な例である。見かけと見栄えだけの張り子のトラとなっている。瞑想を知らずして、瞑想家と名乗ったオンナも張り子のネコで、ネズミも獲ることが出来ない。他力本願で、私のしていることをうわべだけ真似て、教えてカネを稼ぐ。いわゆるパクり、と言う手合いのサギ商売をやっている。辛く厳しい修行に耐えて、何十年と言う年月の末に出来ることは、ホンモノであり、不治の難病患者を助けて、鍼灸師の知らない教えてもらえなかった未知の世界の氣を会ったその場で氣の実在の証明が出来る。話す一言にその修行で培った重みがズッシリと人は感じるはずである。一方、ニセモノハナクソ師範たちの言葉には実体験が無く、仮想の机上の空論だから説得力が無い。私にとっては、ハナクソほどの価値も無い。私は師母の娘さんと日本時間の深夜の三時にテレビ電話で本の出版について話をすることが出来た。本の出版についての私の気持ちを述べて、私は私の名前を日本と世界に知らしめることが目的では無く、私が尤氏長寿養生功を知って以来、幸せとなったので世界中のみんなに私と同じように幸せになって欲しいと言うことが目的であることを伝えるととても喜び、本出版後の印税で謝礼のお話をすると、とそんなことは気にしなくてもいいから、お前が必死に師母と訓練していたのを覚えているから、師母との訓練の体験に集中して本の出版をして欲しいとの励ましの言葉をいただいたのである。日本に、タヒチに、世界に、尤氏長寿養生功が拡まりつつあることが、よほど嬉しかったらしい。私が修行した仏道の武術氣功の自力本願はいろいろな人を巻き込んで今、組織団体が大きく強固なものとなる予感をしている。京都の小さな民泊のアパートで朝の瞑想を終えて、このブログを書いている。