熱狂

この言葉はいわゆる一般の氣功を練習する者には似合わないものかも知れない。しかし、私にとって熱狂は尤氏長寿養生功にこそ狂の文字がピッタリと来る。何も知らされずに一番最初の練習で、一時間立ち続けるmotivation,モチベーションの裏側に熱狂する感情感覚が無ければ出来るものではない。私の道場生に今一時間立たせれば、新しい道場生は1人も居なくなってしまうだろう。狂と言えば、二人も私の道場から資格実力も無い者がそれぞれ、私欲の為から自分の道場を開いてニセの師範と名乗ったことは私にとって、狂気であった。その狂は私の狂とは違う別なものだ。そして、あまりに愚かな行為である。尤氏長寿養生功は、武術であり、医術である。また密教と融合した芸術でもある。震脚に熱狂し、勁空勁に熱狂し、立禅座禅に熱狂する。静寂の中に最大の動があり、動の中に最大の静がある。山であり、海であり、空であった。高く、深く、果てし無く広がりのあるものが尤氏長寿養生功であった。私が好きで、好きでたまらない芸術としての氣功を真の師から学べる喜びから出る、心の底から湧き出る感情ではなかったろうか?今でも私は熱狂している。私は尤氏長寿養生功に生きて、尤氏長寿養生功に死ぬだろう。以って冥すべし!本望である。ものごとを成就大成するには熱狂する感情感覚が必要である。