基本

どんな武術、どんな芸術も基本を大切にするのはもちろんのことである。今まで現れた愚かな者たちは功を焦り、すぐに人の前に立ちたいテレビに出たいカネを儲けるようになりたい、と思い基本に時間はかけたくない。執着と興味は尤氏長寿養生功にでは無く、カネ、名声、自己の売名に囚われる。私の場合には、毎日の訓練をするうちに私の身体に変化が起き始めたので、次の日にはどんな変化が起きるだろうか?と言う興味が湧いてきて、教えてやろうとかテレビに出てやろうなどという野心が起きる余裕も無かったということが真実である。日本のテレビに出演して芸能人を投げ飛ばすことは私のアイデアでは無い。テレビ局の人間が思いついた面白おかしくして視聴率を稼ぐことが目当てであった。私はまだ新参者であったにも関わらず、元ボクシングチャンピオンとかを投げ飛ばすことが出来たのは私が毎日基本の訓練をしていた賜物である。勁は充分な基本の先にあり、空勁は勁の先にある。勁を習得したのちに空勁が存在する。私を真似てすぐに人前に立ちたい、テレビに出たい、有名になりたいと思う者では尤氏長寿養生功を学ぶ資格すら無いだろう。私は一時的に日本に道場を開いた後でもサンフランシスコの師母のところに戻り基本を学び返した。基本を学び返すことによって、ワザに深みと厚みが増して来る。新しい発見がある。基本をしっかりしているうちに筋肉、身体に変化が出て来てワザに進化を発見する。基本こそはワザの進化の源なのである。それなのに基本を怠り、勁空勁に目と心を奪われてしまう。華やかな舞台を夢見る、楽譜が読めない歌手や芸の基本の無い芸能人、タレントのように冷ややかな人の目を気にもせず、人とカメラの前に立つ。なんとチープで安い根性であろうか?