今あるものを大事に

 パラリンピックの選手たちは、手足を失って、失ったものを嘆き悲しんで自分が挫けそうになるのでを知って、今あるものを懸命に鍛えて金メダルに近づこうと努力している。私も健常者から身体障害者となってしまったが、健常でなくなった自分を嘆き悲しむ余裕などは無かった。私の師母が他界してすぐに私の妻も亡くなり、妻の死後には、家の整理後かたずけ、家の売却、と全て自分でしなければならなかった。友人や道場生もいたが、誰の助けも借りず私一人で全てこなした。もうひとつの手と脚が残っていてまだ使える。瞑想もイスに座ればまだ出来るのであった。遺骨の側でも瞑想した。人生の無常を悟ったのである。日本に帰国してからメチャクチャになった道場を立て直して三年後には海外へ進出出来た。自分に残されたものを限界ギリギリまで有効に使えればこんなことまでできるものなのだ。決して諦めてはいけない。健常人でなくとも目標を持って、目標に向かってコツコツ歩めばいづれ目標は達成される。原因があって結果がある。健常人だけが金メダルを取れる訳ではない。たとえ片手片足でも金メダルを手にすることができる。身体障害者であっても金メダルを取ってもらいたい。今自分にあるもの、残されたものを最大限に利用して自分の目標を達成することは我々にとって貴重な体験である。