人は生かされている

人生を長く生きて何かに懸命に熱中してやっていると、私の場合は尤氏長寿養生功に出会いがあった時からであるが、自分の意思で生きているのではない、と分かって来る。何かの意志によって生かされているとしか思えない人生の流れにいつの間にかなっている。何度も絶対絶命の危機を乗り越えて来た。私の使命を果たすまで生かされていることになる。不思議な巡り合わせで人との出会いがあった。助け、助けられる。アメリカでは、日本で勉強を続けられなかった分、勉強をすることが出来たのであった。東洋医学と尤氏長寿養生功に代表される。英語も付け加えなければならないだろう。今も、朝から晩まで最新の医学情報を収集することに余念がない。尤氏長寿養生功の出会いの前に用意された、ヒト、モノ、カネは修行の為に準備されていつの間にかそういう流れになって、師母に引き合わされることになってしまう。仕事も最小限にして練習に毎日行けるように家財道具全てを売って、退路を絶った。そうすると、私の患者の一人が家の一部屋を提供してくれた。新車を買っていたので、サンフランシスコ以外の練習場にも通えたのであるが、修行の終わりには、新車がポンコツになっていた。日本に一時帰国して道場を開いた時は、テレビに取り上げられて道場には道場生が満ち溢れた。全て流れに任せた結果である。通氣になっても、教えてみようとも思えない。師母の方から、日本で教えたら、誰から習ったか必ず言え!と言うことと、たくさんな道場生を持て!とふたつのことだけ言われたのであった。不思議でしょうがない。私がこうやろうとか、こうしようと言う私の意志がないまま、前に進んでいる。タヒチに行った際もお墓参りが目的で、勁空勁を披露した時に私の友人の知り合いがテレビ局のカメラマンで、撮影してタヒチに一局しかないテレビ局からタヒチ全島に紹介されたのであった。周りが支えてくれる。膝や腰の痛みのあるタヒチアンは多く、診てやってくれ、と言われて治療すると即治してしまいその後に次々とひっきりなしに患者が現われる。そのことからタヒチ移住の話しが持ち上がったのである。この経過を見れば、尤氏長寿養生功を教える限り、私は生かされて行くだろう。何か社会に役立つものに取り憑かれたように自分が熱中できるものを社会、世界に拡めようとする時には、不思議なエネルギーに背中を押されて大難が小難に、小難が無難に人生は前に進むことができる。大義があれば、人間は活かされる。生かされている。