呼吸

師母は良く我々に突きには呼吸があると言っていた。当時は何のことを言っているのか、良く分からない。今になってみると、なんとなくわかる氣がする。尤氏長寿養生功の訓練とワザを教えるようになって、ワザには緊張と弛緩の相対立するものを使い分けることで有効的に使うことができることを体験の中から思うようになった。チカラを入れる時、チカラを抜く時、エネルギーの使いわけが良いワザ、効果的なワザとなる。いつもチカラを入れると固い動きになって、伸びが無く、リラックスばかりでは、極めが無い。ある場面では渾身のチカラを絞り、ある時にはユルユルにして筋肉を緊張させない。釈尊が説法を琴の弾き手にする時に弦をピーンと張るばかりでは弦の糸が切れることを引き合いに出した話があったように、張りつめて切れるようなワザではいけないのだ。かといってユルユルな弦の糸では音が悪いし、音も出ないだろう。人間の体調にもバイオリズムというものがあるように、突きには拳を握りしめる時に拳を緩めねばならない時があるのだ  。阿吽とか、呼吸とか、山あり谷ありとか、陰陽などのプラスやマイナスの相対立、相反するものが調和する時に絶妙なパワーが生まれる。師母はこのことを言っていたのであると私は尤氏長寿養生功の教授する側になった今理解することが出来たのである。尤氏長寿養生功の奥は深い。たった一カ月や三年習って、自称して師範を名乗っている人間には到底理解することなど出来ないだろう。ましてや、尤氏長寿養生功の真髄の勁や空勁などは私でも、今だに、研究と実験と進化を続けている立場であるから自称師範の者が道場を開けても教える内容が無く、くだらぬことをホームページに掲載してお茶を濁していることは無理からぬことなのである。私の二番煎じ、マネをするしか方法は無い。憐れな師範たちである。チャンバラと食レポを売りものにするしか方法はない。ユーチューブを見れば、分かる通り、我々には勁と空勁だけに特化集中するしか、師母から習ったことしか対外的には見せるものがない。見せる、書くことがないから、チャンバラと食レポで誤魔化すこととなる。