自分が変われば世界が変わる

以前知りあった愚かな男はオレは一個も悪くないと言ったことがある。一個も悪く無い人間などは何処にもいない。自分が一番に悪く、責任が自分にあるのを知っていて責任を回避する為に幼児のような発想で言った言葉であった。自分の身の周りを見て、美しいものが汚く見えるものだったものは自分の心が変わると違うものに見える自分がいる。つまり、自分の中身が変わると、見えるものまで変わって来る。尤氏長寿養生功は自分を変えることができる。もちろん、ただ通ってダラダラ訓練すればできるというものではない。真剣に徹底的に自分の身体をいじめるように氣を養成することが求められる。私も過酷な訓練に負けること無く自分の限界を知るところまでに自己に耐えられる限界までに訓練時の負荷を筋肉にかけて耐え抜いた。良くジャンプ震脚の後にあまりに疲れて、筋肉が保たずにバッタリと倒れて仰向けに休むことは毎回のことであった。それが毎日、二十年の月日が流れて、ついに勁空勁の要諦を掴み、先輩や同輩道場生を空勁で投げ飛ばせるようになっている自分がいたのであった。師母は初めから終わりまで手取り足を取って教えることは一度も無かった。私が師母がしているのを見て、師母が私に実際にワザをかけるのを体験して、長い年月をかけて自得したのである。汗と筋肉痛の成果であった。初めは冷えるサンフランシスコの外気の中で行なう站椿功では私の手指が冷えて冷たかったけども、この頃には身体は何時も熱く、站椿功を外で行なっても冷たくならない。何時も手指はポカポカと暖かい。同時に私の人やモノを見る見方が変わって、自信と余裕が出来て、カネが無いことが氣にならなくなっていた。世界が変わって、自分が変わっていた。カネやモノに執着することも無かった。身体が元気で氣が充分にあればこの世では生きて行けると云う自信が出来ていた。ドクター尤老師が共産党紅衛兵に家を荒らされた後に大笑いをして、私の氣までは持っていけなかったと言っていたことがその時に理解することが出来たのである。尤氏長寿養生功は人の心を変えて世界をも変革できるチカラがある、と私は思っている。