人種と国境を越えて

私が渡米したのが1972年であったから47年前になる。三年前に帰国しても、未だ、日本の社会に復帰することに戸惑いを感じる時がある。アメリカは人種のるつぼであり、世界中からさまざまな人種が集まって来る。いろんな文化が混じり合い、ひとつの国にまとめるのに必要なものは何と言っても、言語である英語とルールと罰則を守らせる法律であろう。だから、法律によって定められる罰則は日本よりも厳しくなっている傾向がある。歴史的に銃を持つことが憲法で許されているアメリカでは、銃を使う犯罪には銃で対抗することは当然な論理となる。チカラにはチカラで解決する国民性となる。制限の無い自由もあるが、行き過ぎた行為を縛る法律も制限が無いように厳しいのだ。こんなアメリカに47年も滞在して、良く無事に日本に帰国出来たものであると思う。非統治者である我々庶民の生きる上で必要になることは隣人と上手く仲良く住んで、争うこと無く平和に住んで行くことである。自由平等であるはずのアメリカでも差別と偏見はある。日本で産まれ育った私が渡米して47年も日本に住んでいなければ、私の感覚、感性は日本人のそれではなく、半分アメリカン、半分ジャパニーズとどうしてもなってしまう。そんな私がアメリカでも日本でも人を評価する基準となるものは、どんな産まれ育ちであろうが、その人間が善良であるかどうか?ポジティブに前向きに生きているかどうか?のふたつのことをクリアーした人間を評価して信頼することにしている。人の産まれ育ち職業は関係無い。この基準を太田氣功道場にも応用している。日本も日本国内に住む外国人が増えている中、国際的な基準が必要になるだろう。尤氏長寿養生功が人種国境を越えて発展する為には、アメリカ在住経験の長い私の人を見る基準が大切になるのである。