国際色

私が尤氏長寿養生功を訓練していた時には道場生は白人アメリカンと中国人だけでなく、私が日本人で他にもアイルランドフィンランド、韓国などからの人間がいて、道場内は国際色豊かでもあった。多種多様な人種が尤氏長寿養生功を支持してさまざまな理由で習いに来ていた。私は多くの日本人に声をかけて道場に連れて来ては、訓練の厳しさについてこれずに三日と持たない。私が唯一の日本人で、日本を代表する者としてぶざまな格好を見せられない。家財道具一切を売り飛ばして退路を断ち切って絶対習得して見せると半分意地にもなっていた。だんだん頭角を現わすことが出来て、 日本で道場を開いてサンフランシスコを離れて日本に道場を開いた後に同じ日本人の鍼灸師が知り合いの者をスパイとして師母の道場へ送りこみ私のことと内情を探ろうとしたが、訓練はいつものように厳しく、私のことは私がいなくなってから私のことが師母の口から出ない日は無く、毎日、ミッツはこうした、ミッツはああやっていた、と私の話題だけで訓練をつけていたと言うのである。二十年間、毎日訓練に通ったから、私が道場にいることが当たり前になっていたので、私のことが話題になって当然だ。結局、スパイは何も情報を集められずに私があの道場では特別な存在だったんですね、とこの日本人鍼灸師が後に私に言ったのを覚えている。周りの人間が入り込めないほどに私は師母の懐に深く入って、師母の信頼を勝ち取っていたのである。私が入学した大学は国際色豊かで、私のルームメートもアメリカ人であったから、会話はいつも英語で、インターナショナルな環境にいたので別に各国から集まっていても臆することは無かったが、それほどにいろいろな国から集まっている来る事実は尤氏長寿養生功がインターナショナルで、世界に通用する内容を全員が認めていた、と言うことであろう。来年タヒチに住居を構えて、世界各国に尤氏長寿養生功を発信する私はさらに異なる国家人種と交流をするだろう。培った氣がホンモノである限り、相手がどんな人種であっても氣は万国共通であって、国家人種を超えて教えることが可能である。まさか私の大学での国際色豊かな人種間の交流が、この歳まで続き、今また、インターナショナルな環境の下で私のチカラが試されるとは想いも寄らなかった。でも、そんな私の運命を私は大いに気に入っている。